はじめに

今回は、鉛筆の歴史について調べました。
鉛筆の歴史を知る事で、鉛筆の扱い方やデッサンにも影響がでるのでしょうか。

デッサンの本では、鉛筆が画材になっているのにも関わらず、鉛筆自体についてはあまり詳しくは書かれていません。
デッサンの本は、描き方について述べる事が本質であるし、絵描きにとって興味があるのは描くという行為だと思います。

私自身も絵を描くまでは、鉛筆自体について深く考えようとは思いませんでした。
それほど、慣れ親しみ、身近にあるがゆえに、深く考えたりしないのだろうと考えています。

私は、構造の理解を深めるためにデッサンで絵を描いています。
その課程で、身近にある画材としての鉛筆について調べようと思ったのがきっかけです。

えんぴつとは

 

①中国で、鉛粉を用いて書く筆。
②(明治期pencilの訳語に当てた)筆記具の一種。黒鉛と粘土との粉末の混合物を高熱で焼いて芯を造り、木の軸にはめて造る。1565年、イギリスで考案。江戸初期にオランダ人から輸入。「日を経つゝものを思へば―のみじかくなりしそれもあはれよ」(尾上柴舟)。「―を削る」

広辞苑引用

 

中国 湖南省産の石墨  (東京サイエンスにて購入)

粘土 (産地不明) 北星鉛筆さんに資料提供していただきました

鉛筆の芯の原料になっている「黒鉛」とは鉛(Pb)ではありません。
あだ名のようなものです。ダイヤモンドや石炭などと同じ炭素(C)の仲間です。
正式名は、漢字で「石墨」と表記し、読み方は「せきぼく」です。
英語では、石墨を「GRAPHITE/グラファイト」と言います。

鉛筆で書く描くという事を掘り下げて考えてみます。
紙に鉛筆を当てるとカサカサと紙と芯がこすれる音がします。紙に芯をこすりつけて線として残ります。
私には、こすりつけるという工程が書く描くという行為の一番シンプルな本質的な部分に感じます。

石墨を紙に押しつけたときの線は、すぐに消えずに長持ちするし、消そうと思えばきれいに消すことができます。
石墨はインクよりも便利で、簡便に使うことができます。
欠点は、鉛筆を削らなければ書けない描けないという所です。

鉛筆で書いた描いた線は消せるという事がすごく重要です。
いくらでも文字を書き直せるし、デッサンも描き直せます。

イギリスで石墨発見

石墨を使った木製鉛筆の物語は、ここからはじまります。
1564年、エリザベス1世の女王時代に、イギリスのカンバーランド地方ボローデール渓谷で、羊飼いによって、倒木した木の根から石墨が発見されました。最初に、発見されたときに、この黒く光沢のある物質は羊に印をつけるために使われるようになりました。

ひつじ アリスとベル
メェー!メェー!

1565年に、イギリスで最初の鉛筆製造が始まります。
掘り出された石墨を、短い棒状にして紐で巻いたもの、羊の皮でくるんだもの、紙に巻いたもの、板にはめ込むなどの簡単なものでした。

最も古い木製鉛筆の登場は、
ドイツ系スイス人で医者であり、博物学者でもあるコンラッド・ゲスナーが1565年にチューリッヒで出版した化石についての本に登場します。ゲスナーの鉛筆は、現代の様な形の鉛筆ではなく、木製で円形の細長い筒に、石墨を固定した簡単なものでした。

採掘された石墨は、ロンドンの町で定期的に売られていました。
石墨は16世紀終わりまでには、ヨーロッパ中に広く知れわたっていきます。
そのため、イギリス政府が保護管理していたボローデール鉱山は、ほとんど採掘されてしまいました。

下の写真では、上の図が「石墨を紐で巻いた図」です。石墨を鉱石のまま使い絵を描きました
下の図が「ゲスナーの鉛筆の図」です。鉛筆を使って描きました。

Mob 「1565年鉛筆」 2019年 紙 サンフラワー 上の図 石墨 下の図 鉛筆 DERWENT GRAPHIC 2B 297×210mm

Mob
鉱石のままの石墨で絵を描くと、石墨自体が固いので粒子にならず、紙に全く吸着しないので上手く描けませんでした。紙に強く擦りつけるために、紙が傷みます。そして、指先が黒くなります。
現代の鉛筆がかなり優秀な事がわかりました。描いていて気持ちがいいです。

ドイツ製の鉛筆

ボローデール産の石墨がほとんで採掘されしまったので、16世紀のドイツでは、石墨の粉を硫黄などで固めて芯を作っていました。
しかし、書き心地は良くなかったとされています。かたくて脆い、紙にも木にも線がひきにくく、黒色がつく前に傷をつけてやぶいてしまうものでした。

1760年には、世界的にも有名な鉛筆会社の一つである、A.W.ファーバー会社の先祖カスパー・ファーバーが、ニュールンベルグ近郊のシュタイン村に工場を建設しました。
1761年から鉛筆製造を始めます。

フランスで作られた鉛筆の芯

1793年にフランスとイギリスおよび連合軍の間に戦争がはじまりました。この年に、ルイ16世とマリー・アントワネットは処刑されます。
フランスでは、ボローデール産の石墨が使えなくなり、そして、ドイツ製の鉛筆も輸入が途絶えます。

当時は、戦争も革命も教育も、鉛筆がなければうまく運ばなかったようです。鉛筆の需要は、生活の中で必需品になっていました。

そこで、ナポレオンは鉛筆を生産するために、ニコラ・ジャック・コンテに鉛筆の製法を研究させます。
コンテは石墨と粘土を混合して、それを高温で焼きかためて鉛筆をつくることを発明しました。

1795年に、コンテが発明した新しい工程が特許として認められました。
現在の鉛筆の芯製法の基礎となった発明です。現在もコンテの方式で芯が製造されています。
コンテの鉛筆芯は、石墨と粘土の割合を変えることによって、芯の濃度が変化することも発見しました。

Mob 「コンテ肖像画」 2019年 紙 キャンソン ミタント 鉛筆 北星鉛筆 Art Set 6B~4H 297×210mm

Mob
コンテは肖像画家の経歴をあきらめて、科学の分野に関わる事になります。
コンテは軍隊に気球を導入し、水素を使った爆発事故で左目を怪我をしました。

アメリカで鉛筆製造の機械化

1860年代のアメリカでは、主に羽ペンとインクが使われていました。
当時のアメリカでは、鉛筆は輸入されることが多く、粗悪な鉛筆を作る技術しかなかった為です。
しかし、時代とともに、乾いた、きれいな携帯用の筆記具の需要があり、鉛筆が大量に必要になります。

新しいアメリカ製の鉛筆を作るためにジョセフ・ディクソンが開発した機械は、鉛筆の軸になるシダーの樹を切るものでした。
次に、木工用平削り盤を開発し特許を得ました。
この当時に作られていたディクソン社の鉛筆は円形でした。

Mob
1870年代のはじめでは、アメリカでは毎年2000万本を超える鉛筆が消費されるようになっていきます。
現在の鉛筆の製造方法は、「北星鉛筆で鉛筆について聞く」で記事にしました。

鉛筆の段階の表記

石墨と粘土の比率によって芯の硬さを加減する方法はコンテが発案しました。

1844年アメリカでは、ヘンリー・デイヴィッド・ソローが異なる硬さの鉛筆を提供しはじめました。
1から4までの4段階で、一般的な使用には2が適しているとされています。

19世紀はじめのロンドンで、文字を最初に使った鉛筆をブルックマンが製造しました。
ブラックのBとハードのHをつかい、それぞれの段階はBとHを繰り返すことで表しました。
例えば、BBBやHHなど
画家は、濃い鉛筆を好み。製図者は、固い鉛筆を好んだそうです。

HBとFのはじまり

鉛筆の使用者がこのBとHのあたりを好んでつかうことが多くなると、HBという表示がBとHのあいだの黒さと濃さの鉛筆としてつくられ、HBとHのあいだの「固い」「尖った芯」としてFが開発された。
ドイツとフランスの製造業者がともに英語のこの文字を使って鉛筆の段階を表記したのである。

鉛筆と人間引用
三菱鉛筆公式サイトによると、HBの鉛筆の芯は、石墨が70%で粘土30%の比率で作られています。

Mob
鉛筆と人間を読んで鉛筆のFについての謎が解決できました!

おわりに

鉛筆が今の形になるまでに長い歴史があり、様々な人々が関わる事で今の鉛筆という形になっています。
画家や建築家は、デッサンや製図で使用する鉛筆に対して、改善すべき点があれば鉛筆製造者に意見をしていました。
また、鉛筆製造者は、画家や建築家の意見を取り入れ改善するように努力をしていました。
当時の鉛筆使用者は、より個人にあった鉛筆を探していました。

私は鉛筆を選ぶ上で、デッサンの本に記載されていない歴史、製造工程や原料はとても重要な部分だと思います。
長い時間、描いていても疲れないでストレスのない心地よい鉛筆を探してもいいかもしれません。
自分自身に合う製品は、描いて、模索して、また描いてと繰り返す中で最良の選択ができるようになるかと思います。

鉛筆は芯の削り方で、自由に線を太くしたり、細くしたりと変える事ができます。鉛筆を立てて使ったり、寝かせても使えます。
芯が折れていなければ、いかなる時も書ける描けるから、考えを邪魔しないでアイデアや線を形にできます。

また、思考を休めたいときには、鉛筆を削ります。
そんな時間に良いアイデアが生まれたり、次にどんな線を引こうかとゆったりと思いにふける事ができます。

私にとっては、鉛筆は、完成された道具です。

参考文献と資料

広辞苑第六版
世界大百科事典
鉛筆と人間 ヘンリー・ペドロスキー著
日本鉛筆工業組合サイト
日本黒鉛サイト
ファーバーカステルサイト
北星鉛筆
三菱鉛筆公式サイト
東京サイエンス
井の頭自然文化園

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